Column & interview

コラム

BC号航海日誌50『村上龍氏に怒られたからできました!~AI文章生成サービス「easy writer」開発ウラ話』

 代表・野村は集英社という出版社で20年ほど雑誌編集者をしていました。取材でインタビューした相手は、渋谷の女子高校生から文化勲章受章者まで、その数2000人、、、、。

 というとすごく多いように感じるかもしれませんが、ひと月10人、年間100人と数えていけば、特段多い数でもなんでもなく、大変平均的な編集者でありました。
 ただ、ちょっと人と違ったのは、他人に仕事を振るのが苦手、ということ。インタビュー原稿も自分で書くことが多かったのです。プロのライターに依頼する編集者が多い中で、平成年間で最も多く原稿を書いてきた社員編集者のひとりでした。
 
 あるとき、作家の村上龍さんの取材をしたことがありました。彼が新刊書籍を出したので、その話を聞きに新宿の村上龍定宿ホテルに行きました。執筆動機や作話の苦労、読者へのメッセージ、作家の近況、、、、。インタビューは1時間ほどだったでしょうか。取材メモを記録することはもちろん、ICレコーダーを回して音声の録音もしていました。あとは写真をつけて1000字程度の原稿をまとめるだけ。比較的ラクな仕事だったのです。

 ただ、雑誌編集者というのは常にいくつもの締め切りに追われ、落ち着いて原稿を書く時間は限られています。まして、テープ起こしのような地味な仕事は面倒くさいことこの上ない。

 村上さんは以前も取材でお会いしたこともあり、締め切りまでの時間も切羽詰まっていました。気が緩んでいたとしか言いようがありませんが、私はテープ起こしをせず、取材メモだけを頼りに原稿を書いてしまったのです。まさか、そのことが、のちのち問題となるとは……。

 取材メモというのはキーワードを書き留めることに終始して、その結論が「である」のか「でない」のかまで、すべて記録しておくことはできません。書かれていない部分は、もう一度音声を聞くか、記憶に頼るしかないのです。その時の私は後者に頼ってしまいました。

 自分の書いた原稿をチェックしてもらうため、村上さんにメールを送ったところ、
「オレ、こんなこと言ってないよ」
 とキツイ一発。
おそらくは最初の数行だけ読んで、そのあとはほとんど目も通してくれなかったのだと思います。

 締め切りは迫るは、大作家は怒らせるわ、で上司からも叱責。村上さん担当の文芸編集者からもドつかれそうになるわで、かなりの「黒歴史」となったのでした。

 もちろん、その後は一字一句逃さず、テープ起こしをし、原稿を書き直しました。大作家に二度手間をかけただけでなく、締め切りもギリギリとなり、かなり落ち込んだ出来事でした。

 テープ起こし、文字起こしは重要です。
 しかし、その作業自体にあまりクリエイティビティはありません。
 このサービスに思い至るきっかけは自分自身の失敗にあったのです。

 

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