Column & interview

コラム

BC号航海日誌13
『ONE PIECE』誕生の裏側にあったもの

売れるコンテンツ、ということで前回ブログを書きました。

2017年で最も売れた電子書籍は『進撃の巨人』だったそうですが、範囲を広げてこの20年ほどで最も売れたコンテンツは何だと思いますか?

累計部数3億冊超、アニメ放送十数年、映画化10回以上、展覧会やキャラクターグッズなどさまざまな点で頂点に立つのが『ONE PIECE』です。まさにおばけコンテンツそのもので、おそらくこの作品を超えるものは、あと数十年出てこないかもしれません。

その成功の要因は9割以上が作者の尾田栄一郎さんの才能と努力であると言えますが、ここでは連載開始当時の編集部について触れてみます。

私自身は当事者でもなんでもなかったのですが、担当として直接関わった2人の編集者に話を聞いたことがあります。

尾田さんが最初に週刊少年ジャンプの新人賞に投稿してきた時から、そのレベルの高さとあふれんばかりの才能を多くの人が見抜いていました。しかし、ベテラン担当者になれば、そんな才能もなにかのきっかけで簡単にダメになっていく姿も多く見ています。

いずれ連載陣に加わるとしても、いつどんな作品でデビューさせるかは、編集部の間でも意見が分かれていたそうです。デビューまで、ほかの漫画家のアシスタントとして修行を積んだのもそんな経緯があったからです。

ONE PIECE』の初代担当は、世間的にはAさんということになっていますが、最初に尾田さんに漫画を描かせたのはBさんという別の担当者でした。Bさんは何作か単発で作品を発表させ、他の漫画誌に異動。『ONE PIECE』開始時の担当がAさんだったというわけです。

上層部は作品に対して必ずしも肯定的な意見で統一されていたわけではなかったそうです。かなり批判的な意見もあったはずです。ただ、尾田さんの才能を固く信じたのが、Aさん、そして他の漫画誌に移ったBさんのふたりでした。

また、アニメや映画などパッケージを変えて作品世界を広げたのは、Cさんという3番目の担当だったといいます。職人的編集者のあとに、プロデューサー的編集者が担当したというわけです。

ヒットメーカーという言葉がありますが、コンテンツビジネスの場合、さまざま偶然が重なることによって、その人を押し上げることがあります。

ただし、偶然だけで片付けられるような単純な話ではありません。その底流には岩をも通すほどの固い信念がなければならないのです。

ONE PIECE』の誕生の裏にはさまざまなドラマがあったのです。

記事一覧