今、コンビニでも書店でも雑誌の表紙を飾るのはほとんどが女優、タレントといった人々です。以前からそうではあったのですが、雑誌売上がピークだった20年ほど前と比較すると、別の分析ができます。
20年前から芸能人、有名人が表紙を飾ってはいたのですが、そこには雑誌ごとのテイストがありました。ファッションや髪形、メイクや写真のポーズや雰囲気など、さまざまな差別化を図りながら表紙を作っていたのです。
今は残念ながら、有名女優が指定する同じカメラマン、同じスタイリスト、同じメイクがつきます。どの雑誌を見ても大差ない、という状況になっているのです。
また、4月、10月のテレビ番組改編やお正月の特番などは、人気女優の取り合いです。同じタレントが4~5誌の表紙を飾っています。
これは雑誌の個性よりも、女優のキャラクターを優先しなければ、仕事を受けてもらえないという状況があるのです。
かつての雑誌は今でいうプラットフォームでした。作家、漫画家、タレント、文化人、イラストレーター、カメラマン、スタイリスト、モデルなどさまざまな人々が登場する場所として、世の中の流行をけん引していました。
そこにあるセグメントされた読者がつき、広告主が出稿したのです。
雑誌のコンセプトがはっきりしており、そのコンセプトのもとに雑多な才能が活躍していたのです。
今は、タレントや有名人の都合が先に立ち、雑誌の個性は著しくなくなりました。
また、広告主の発言力が強くなりすぎ、広告以外の誌面にも意見を言うようになりました。
これでは読者も離れていきます。お金を払ってまで読む価値がないからです。
また、雑誌を出す出版社も、あまりにも多くを外注に頼っていたため、いざ自力で舵を切ろうにも、リソースが圧倒的に不足しているのです。
一部の趣味の雑誌などは今後も残るでしょうが、マスメディアとしての雑誌は遠い過去のものとなりました。